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東京高等裁判所 昭和30年(う)2291号 判決

控訴人 被告人 国分章司 外一名

弁護人 池田門太 外一名

検察官 軽部武

主文

原判決を破棄する。

被告人国分を判示各犯罪事実につき、それぞれ科料九百円に、

被告人鈴木を判示各犯罪事実につき、それぞれ科料六百円に処する。

右科料を完納することができないときは金三百円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中原審弁護人池田門太に支給した分は被告人国分の負担とし、その余の分は、被告人鈴木の負担とする。

理由

坂本弁護人の論旨第一点及び被告人鈴木の論旨第一点について。

原判決挙示の証拠を綜合すると、被告人鈴木が、

(イ)  昭和三十年二月下旬頃松戸市一丁目千百九十二番地喫茶店グリン事岡田千代子方で同人に対し「警視庁でいれずみしているお巡りさんは自分だけだ」と申し向け、

(ロ)  同年四月一日頃の午後十一時頃松戸市一丁目千二百七十番地飲食店「ながた」こと永田義助方で同人に対し「俺は今警視庁捜査課の刑事部長をしている」と申し向け、

(ハ)  同日午後十一時三十分頃同市消防署附近路上に於て旅館業三河屋こと待山とくに対し、「俺は警察の者だ」と申し向け、

たとの原判示第二の各事実を認定することができる。

記録をみると、被告人が松戸市古ケ崎出身で松戸市内には知人も相当数あると考えられるが、前記岡田千代子、永田義助及び待山とくが被告人を知り、その警察官でない事を前から判つていたとは認められない。被告人がいれずみをしていなくてもいれずみをしているかのように言うこともあり得るし、被告人が岡田、永田、待山方で前に酒を飲んだ事があつたにしても、岡田等に判示のとおり申し向けた事実がないとは断じ難いところで、却つて原判決引用の証拠により、被告人が、自己の経歴、地位、身分を詳しく知られていないのに乗じて警察官なるが如く申し官名を詐称したもので、単なる座興程度のものといえないこと明らかである。又被告人が同伴の国分章司のことを警察官だとしたのを相手方が被告人自身の事と誤つたものとは認められない。

而して被告人が警察官でないのに警察官のように申し向け、それが一時の座興程度のものでなく、相手方が知らないのに乗じて為されたものと認められる以上、飲食代金を支払わなかつたり、相手方に迷惑をかけた事実がないとしても、道義的非難に価しないものとはいえず、被告人の所為が違法性のないものとすることはできない。

それ故原判決には所論の如き誤はなく、論旨は理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 近藤隆蔵 判事 山岸薫一 判事 鈴木重光)

弁護人坂本建之助の控訴趣意

第一点原判決は判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認がある。

一、原判決は犯罪事実として判決理由(イ)乃至(ハ)の三個の事実をそれぞれ申し向けて、いずれも警察官であると詐称した旨認定しているが、右(イ)及び(ロ)の事実は右に所謂詐称に該当しないものである。二、即ち、軽犯罪法第一条第十五号に所謂詐称も犯罪行為の一態様に外ならないから、詐称の罪が成立するためには構成要件該当事実の外に、それが違法性あるものなることを要するのは当然である。三、本件について見るに(イ)の場合は明らかに飲酒中の世間話の言葉であり(岡田千代子の検察官に対する供述調書第二項)、(ロ)の場合は、予てから顔を知られて居り、従つて被告人が警察官でないことを充分承知している相手に対して、而かも酒の上の興味半分で述べた言葉であり、(永田義助の検察官に対する供述調書)、従つて飲食代金は当り前に払つて居る外、何も迷惑をかけた事実はない(右者等の調書)のであつて、これ等の事実より見て、右状況下の右程度においては未だ違法性ありとは謂い得ないものと思われる。蓋し違法性の本質如何については種々論議せられるところであるが、少くともそれが道義的非難に価いするものでなければならないこと勿論であるところ右状況下の右程度では果してこれに該当するとは謂い得ないと思われるからである。疑わしきは罰すべきでない。四、従つて原判決は、右(イ)(ロ)の事実について違法性の不存在を看過した事実誤認があり、この誤認は判決に影響を及ぼすこと勿論であるから破棄さるべきである。

被告人鈴木好友控訴趣意

第一点原審の判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるものと確信します。

(一) 原審判決第二(1) は二月下旬飲食店グリンで私が「警視庁でいれずみをしているお巡りさんは自分だけだ」と言つたとありますが私としてはそんな事を言う訳はないのであります。私が入れ墨をしている男であつたら或いは酒の上で言うことも考えられますが五体何処にも入れ墨なんかしていませんし私が酔つていたからと言つても左様なことを言つた憶えが全くありません。私は警察以来その点について事実を認めず原審の公判の際も判然否認しました。(二)原審判決第二の(2) は四月一日頃飲食店ながたで「俺は今警視庁捜査課の刑事部長をしている」と言い、同(3) は同日三河屋のお母さんに「俺は警察の者だ」と言つたと認定されましたがこれは全く事実と違います。当夜私は相被告人の国分と一緒に飲んで酔つておりましたが「ながた」でも「三河屋」のお母さんにも自分が警察官だとは申しません。私は狭い松戸の土地で生れ友達も多く長く松戸の土地で働いていましたので土地の人達は皆私の顔を知つております。その上グリンにも前記二軒にも以前から馴染の店として飲みに行きました位で警察官であるかないかウソを言つてもすぐ判つて仕舞い相手が信用する筈がないのです。自分の土地で私が警察の者だと言う訳がないのです。私は決して弁解するためにそう言うのではありませんが当時私は一緒にいた国分を本当の警視庁の捜査課の刑事部長さんだと信じていて「ながた」でも「グリン」でも「三河屋」でも警視庁の刑事部長だと国分の事を言つたのです。私がそう言つた事は相手の人は皆認めてくれることと確信します。隅々一緒に飲んでいたので相手の人達が自分のことも警察官と思つたか又は私の云いかたが悪かつたかで自分のことを言つたように聞いたのか判りませんが私は自身のことを警察官だと云つた憶えは全くありません。大体国分は当時本人が判然「俺は警視庁捜査課の刑事部長だ」と云つており国分の態度、服装からして私は本当の刑事部長だと信じておりました、そのため何処の飲屋に行つても国分のことを部長さん部長さんと呼んでいました。これらのことが真実であることを立証するため原審でグリンのマダム、ながたの主人、三河屋のお母さん、私の妻、国分を最初に警視庁捜査課の刑事部長だと紹介してくれた飲屋「一二三」のお母さんを証人として是非きいてもらいたかつたのですがこんなことで皆さんに御迷惑をかけるのは悪いと考へましたしまさか私が有罪しかも拘留の判決になるとは予想しませんでしたので無罪の主張もしないで私の悪かつたことを反省したのです。又私には無罪の主張をして争うだけ費用も時間の余裕もなかつたので簡単に裁判して貰つた方がよいと考え極く簡単に事実を認めて済ませて仕舞つたのですがこの事が私としては一生取りかえしのつかない結果になつてしまいました。私は検挙されて以来窃盗事件、本件の三つの詐称事実をすべて認めませんでした。窃盗容疑は全く身に憶えのない事であり詐称の事実も全く相手方の聞き違えか悪く云えば私に対する分は警察のデツチ上げではないかと疑を持つてしまいました。警察、検事は窃盗で逮捕した容疑者が容疑がなくなつたのでそのメンツー上官名詐称の事実を造り上げ飲屋の人達に上申書を出させるようにしたのではないでせうか。無銭欽食した訳ではなく皆私が飲屋の勘定は払つて官名を詐称しても何の利益もうけてはおりません。尤も私としても見ず知らずの男と一緒になり飲屋にいた客の云う事を信じ度々行動を共にするような結果になつたのですから不注意がなかつたとは申せません。其の点私が馬鹿だつたと深く後悔しておりますが私自身警察官だとは申したことは絶体にないのです。そのことについて警察でも検事にも何回となく「お前酔つていたので判らないかも知れないが確かに警察官だと云つたのだ」と事実を認めることを強制されました。然し私はいくら飲んでも自分の云つた事が判らないような飲み方はしませんし過去自己を失う程泥酔した事はありません。酒は強い方ですが自己の行動はよく判ります。私は警察で調べられた時事実の通り供述しました。心に誓つて正しい主張は必ず勝つと信じて警察官の質問にも官名詐称の事実を認めなかつたのです。然し原審は相手の上申書供述を完全な正しいものとして採用し事実の認定をしました。私も種々な事情から詐称の事実を公判の際認める供述をしましたので通常の常識と経験則からしても事実と認めたことはやむを得ませんが原審裁判官が今一度鋭く私の立場を考へて下されば警察以来の供述に不審をいだかずにはいられなかつたのではないでしようか。以上により私としてはあくまで事実誤認であることを確信します。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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